アンの幼少期と性格形成



「不幸な境遇」とアンの幼少期

アン・シャーリーがグリーンゲイブルズへ来るまでの約10年間の半生を見ると「悲惨」の一言につきる。

アンは生後3ヶ月で両親をなくし、その後8つになるまでトマスの小母さんと住み、そしてその後2年、ハモンドの小母さんと住み、そしてホープタウンの孤児院へ移された。 アンの一番目の「身替わり親」はトマス夫人だったが、彼女は貧乏な上に夫はアルコール依存症(1-p61)。子供も沢山いたようなので十分な世話は出来ていなかっただろう。その次のハモンド夫人の家は開墾地の寂しい場所でそこも子だくさんだった。アンを子守りにするためにひきとったという。そこでアンは2年くらした。

この複雑な生活環境をみて考えられるのはこのような荒んだ生活感強がアンの心と体の発育にどのような影響をおよぼしたか、である。

発達心理学的にみると赤ちゃんは3〜4ヶ月くらいから社交性を示しはじめる。親とのコミュニケーションが存在するということを親の目にもありありと分かりはじめる頃だ。なにもしていないように見えても赤ちゃんはしっかりと親を通して感情表現や人間関係(親とのきずな)について学ぶ。2歳以降くらいになると「人になにかやってあげる」という発想が芽生えてくるし、親の行動を見て自分も真似しはじめる時期だ。6才くらいから「自分」という観念が芽生えてくる。この時期の親の育て方やフィードバックによって子供の自尊心や「自分という一つの個体についての観念」の発達が大きく違ってくる。

二人の「身替わり母」によって体は育ったアンだが、母親や家族の愛情にはとても飢えていた。アンはトマス夫人もハモンド夫人も「育ててくれた、または世話してくれた人」としてしか見ていない。あくまで客観的な見方だ。しかもこの二人の女性とも夫が亡くなり、家族離散状態になった時はアンを見放している。アンの心の中では「自分は心から愛されていない。いざという時には厄介者扱い」というものが大きく、それが彼女のアイデンティティだった。「あなたという人を一言でいうと?」と聞かれると「どうでもいい存在」と思ってしまうような子供だったのだろう。 グリーンゲイブルズに来てからも始めのうちはマリラに怒られて泣き出しては「ひどいやっかいをかけることになるから孤児院へ送り返した方がいいかもしれない」(1-p122)と言っている。これは今までずっと「やっかい者」扱いをされてきて、普通に自分の親に愛されて育った子供ならば持っているはずの「家族にとって自分は価値のある存在だ」という観念を持っていなかったということなのだ。

ハモンド夫人にも見捨てられた後、アンは4ヶ月の間孤児院で過ごす。孤児院と言えば1945年にスピッツ博士がおこなった「孤児についての研究」がある。それによると、親の家庭で育った子供達にくらべて親を失い施設で育てられた子供達は健康状態も発育も遅かった。この研究結果がその後のアメリカの里親制度(Foster Family)や養子縁組などが活発になる一因となる。19世紀末当時の孤児院は1945年と比べて設備もちゃんとしていなかっただろうし、アン自身も「貧乏な孤児院」と言っている。実際、マシュウが始めてグリーンリバー駅でアンを見つけた時、彼女はやせこけて発育が悪い体型をしていた。孤児院は体の発達ばかりでなく、子供にとって精神的飢餓を起こさせるような環境だったようだ。アンはマシュウに「孤児院はなにもなくて退屈だった」と言っている。

アンの性格と「腹心の友」

アンがグリーンゲイブルズに来た当初、10歳のアンは大人びて洞察力に優れた少女だった。自分の不幸な境遇をドライに観察し、想像の世界へ現実逃避してなんとか自分を保っている少女。友達もろくに出来なかった彼女は交友関係すらも想像の世界で作り上げていた。ケイティー・モリスとヴィオレッタという二人の架空友達だ。子供時代は架空の友達(imaginary friends) を作るのはよくある事だが、アンの場合はそれを乗り越えて妖精や草木などにもしゃべりかけたりして、アヴォンリーの少女達の噂にのぼったりしていた(1-p116)。アンの想像、空想癖は生涯そのままだったようだが架空の友達はダイアナという生身の親友が出来てからは姿を見せていない。架空の友達がいる大抵の子供は生身の友達ができると架空の友達とお別れをするケースが多いのだが、アンもノーマルなプロセスをたどって生身の友達を通して自分の心や感情を表現できるようになった。

人間の性格は遺伝子や家庭環境、身体的特徴や身の回りの出来事など複雑な要因によって育成され、変化していく。アンが不幸な境遇で育ったにも関わらず、以外にもひねくれていないのは彼女がもって生まれた性質だったのかもしれない。マリラすらも「きっと身内は立派な衆だったに違いない(1-p64)と思っている。彼女が不幸にも挫けず素直な性格だったのは上記に記したように空想癖があり、現実逃避するのが上手だったこと、そして何ごともポジティブに考えようと努力し、また客観的に物事を観察できる鋭い洞察力をもっていたことがあげられる。マリラの作ってくれたドレスがふくらんだ袖がついていないのでがっかりしながらも「まあそんなもんかな」みたいにあきらめながらも想像でそれが美しいドレスのふりをしてみる、という彼女の行動にそれが出ている。またアンは自分の容姿も客観的に見ている。栄養も愛情も欠けて育った彼女はお世辞にも「美しい子供」ではなく、また大人達がそう言っているのを聞いて育ったと思われる。しかし自分の髪が赤いというのは彼女の「逆鱗」の「鱗」そのものだったらしく、リンド夫人にそれを言われた時には我を失って怒鳴り返している。

アンは人当たりがよく人なつこいし、どんな人間とも上手くやっていける術を身につけている。複雑な環境で育っていった結果のサバイバル術だったのだろう。空想癖とドライな洞察力の両方を兼ね備え、周りの人間達には「厄介者あつかい」されてきた彼女にとって人から好かれるという事は生きていく上でとても大切なことだった。グリーンゲイブルズへ来るまでの彼女の周りの人間や子供達は自分が生きていくのが精一杯で友情を育むというところまでは気が回らなかったようだ。アンはこれまでに友情関係を築こうとして痛い目にあっているのだろう。彼女の「腹心の友」の発想はおそらくここから来ていると思われる。「なかのいいお友達よ。心の奥底をうちあけられる、ほんとうの仲間よ。いままでずっと、そういう友達に出会うことを夢見てきたの。それがかなうとは思っていなかったけれど(以下略)」というセリフにも見られるように、おそらく信用していた「友達」から裏切られ、傷付き、「友達は選ばないと作る意味がない」と幼いながらにも決心したのだろう。これは以後彼女の「腹心の友であるかないか」とか「ヨセフの一族であるかないか」とかいう分類法にも顕著に現れている。そういった分類は「心を許すか許さないか」の分かれ目で、自分が傷付くのを防ぐ心理的防御策だったようだ。「腹心の友」でない人々にはアンは愛想よく波のたたないつきあいはしていても深入りはしていない。

「腹心の友」になれるかどうかはアンは自分の勘に頼っているようだ。ダイアナと始めて会った時もピーンと来たみたいなのだが、アンには人が自分を好いてくれるという自信がなかった。ダイアナに「腹心の友」になる誓いをいきなり迫ったのも(1-p126)普通の女の子なら「引く」ところだが、幸いダイアナはかなりのんびりした子供だったらしく無事二人は「腹心の友」になった。

マシュウとマリラが与えた「癒し」

アンがグリーンゲイブルズへ来てからマシュウが死ぬ3年くらいの間に、「人間の愛を知らない」少女はマシュウとマリラの愛情によって癒されていった。マシュウもマリラもオーバーな愛情表現は苦手なようだが、マリラの適切な指導と気配り、そしてマシュウの無条件な愛情によってアンの自己観念はだんだん健康的になっていった。アンが14歳になる頃にはあのリンド夫人も「まったくいい子になった」と言っている。

マシュウとマリラは兄妹だ。だがこの二人は「子育て」の上で非常にバランスのとれたパートナーだった。二人とも子供を育てたことがない。マリラもリンド夫人からいろいろと「意見」されているのだがリンド夫人がやれと言った「鞭で叩く」体罰は行っていない。マリラの冷静で理性的でマイペースな性格から来ているのだろうが、当時ポピュラーだった「体罰して子供に善悪を教える」ということはやらなかった。マリラはアンの「大人びた」性格をみて論理で分からせる方法をとり、そしてそれは正解だった。リンド小母さんに対して怒鳴った件にしても自室に入れて冷静に考える時間を与え、しかもちゃんと食物も与えている。マリラのアンへの接し方は「愛情の波」をコントロールした理知的なスタイルだ。彼女の信念に基づいた、妙に情に流されてデレデレダラダラしない、ちゃんと「ダメなものはダメ」だけれど愛情に満ちあふれていてアンにもしみじみ伝わっているという、これまでアンの環境の中になかった「規律の中にある安定感」を与えている。アンのこれまで育った環境はアルコール依存症の男がいたり、子だくさんだったりで子育てのスタイルにもムラがあったと思われる。ムラのある環境で育つ子供は情緒不安定になったり行動にもムラが出たりしてくる。アンの養育にとってマリラの「芯の強さ」はとてもプラスになったと思われる。

マリラのスタイルに対して対照的に見えるのがマシュウの「底なし沼的愛情」だ。これまでのアンの半生の中では「父親的存在」というものも「思いっきり甘やかしてくれる祖父母」というのもなかった。マシュウはまさにこの二つなのだ。アンの突飛な話にも耳を傾け、アンのためならなんでもしてしまう。マリラのように目にみえる行動的な子育てとは対照的に心の中からじわじわと伝わり、「自分は愛されている。自分は大切な存在なのだ。」と自覚させてくれ、癒してくれるような存在だ。マシュウはアンが15の時に亡くなってしまったが、その後もずっとアンの心の中に残っていた。現にアンの長男のジェムのミドルネームもマシュウである。

こんな二人に育てられたアンは次第に「孤児」っぽさがなくなり、愛情に満たされ精神的にも安定した少女に育っていった。

アンはADHD??

余談だが、11歳、12歳頃のアンを見て臨床心理学者としてフと思った事がある。

それはアンがADHD(Attention Deficit/Hyperactivity Disorder 日本語では「多動症」というらしい)ではないかということだ。

米国でもっともよく使用される精神医学のレファレンスにDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder)というのがある。それによるとADHDは大きくわけて2つの要素がある。一つはHyperactivity/Impulsivity(多動/衝動的)で、これはじっとしていられない、落ち着きがない、常に動き回っている、喋りすぎる、考える前に行動してしまう、順番待ちができない、など。 もうひとつはInattention(不注意)で、これは注意深くない、物事に集中することができないまたは忘れる、人の話を聞いていない、学校の先生や親などから教えられたり物事の指導をされても順序などを聞いていない、覚えられない、夢想癖がある、などだ。

アンはぼんやり物思いにふけっていたり(家でも学校でも)、本当によく喋るし、あまり注意深くないなど「!」と思わせるものがあり、もしこんな子供が自分のオフィスへやってきたら「主に不注意タイプのADHDをrule out(あるかないか調べる)すること」とノートに書き込んでしまうだろうな、と思ったりした。

ちなみにADHDは成長とともに症状が変化したり減少したりする。子供時代にADHDと診断された子供の約30%は大人になるまでには症状が消えうせ、次の30%は症状が減少し、残りの30%はそのまんまだという。アンの場合は15歳くらいにはもう「お喋り」ではなくなっていたというから前者のタイプかもしれない。

多動症は病気ではなく「状態」である。最近の研究では脳の前頭葉の活動に関係があるなど生物学的な解明がポピュラーになってきている。 だが私が思うにアンの「多動症的行動」は彼女の幼い頃の生活環境から来ているのではないだろうかと思う。愛情にみたされなく育った子供。大人の注意を引くためには喋って喋って喋りまくらないとダメだっただろうし、不注意さもつらい現実から自分を救うための手段の一つだ。

鬱病や不安神経症という病気は子供にもあるのだが、大人と違って子供の場合、自分の感情を上手く表現したり観察したりすることが出来ないので大人とは違った症状が出ることが多い。鬱病も不安神経症も注意力が散漫になったり、精神的ストレスやプレッシャーからそれを発散させる行動(すぐカっとなって喧嘩する、親にやたらと甘える、とか)をしたりする子供が多い。アンの場合、不注意さもおしゃべりも実はストレスたまって発散しなければいけないということだったのかもしれない彼女の不幸な境遇からいって鬱病や不安神経症になったりしても当たり前だと言えるからだ。

マシュウとマリラの「愛の癒しセラピー」の効き目が現れた頃に彼女のおしゃべりも不注意も減っているようなので、どちらにしろアンにとってグリーンゲイブルズで育てられたということは大変ラッキーだったと言える。


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