ヴィクトリアン ライフ



アン達の生きていた1800年代後半から1900年代初頭はヴィクトリアンの時代。いったいどんな生活をしていたの?

アンブックスにでてくる生活模様

建物や部屋

実在するグリーンゲイブルズは2階に4寝室(アンの部屋、マリラの部屋、客用寝室、西の部屋(縫い物用)、1階にマシュウの部屋、応接室、居間、台所などが本当にあるそうです。

建物のドアは防寒用に2重になっています。

台所には料理用の黒いストーブが置いてあり、食料庫には野菜や自家製の漬け物、ジャムの瓶が並んでいたでしょう。この時代、虫やネズミによる被害は深刻なものでした。サランラップもアルミホイルもない時代なので、食物には必ずボウルや皿をのせてフタをしていました。


作中でのアンの部屋は家の東側、ちょうど玄関の真上あたりにあります。はじめは味気ない部屋でしたが、アンが自分なりにアレンジした結果こうなります。

床にはきれいな敷物があり、高い窓にはうす緑のモスリンのカーテンがかかっていて、りんご模様の壁紙で、絵や写真が飾ってあり、本がいっぱいつまった白塗りの本箱があって、クッションのついた柳細工の揺りいす、白いモスリンのへりのついている化粧机、金縁のアーチ型になっててその先っちょにピンクのキューピッドと紫のぶどうが描いてある鏡、そして腰の低いベッドがあるらしい。


この時代、お風呂に毎日はいるという週間はなかったので、自室には陶器の水瓶と洗面器がおいてあり、毎日スポンジで体を拭く程度でした。
アンの憧れていた客用寝室には、大抵の場合、その家ができるだけの贅沢をこらしていました。きっとグリーンゲイブルズの客用寝室にも、壁紙や、レースなどで飾ってあったことでしょう。

この時代は、まだ掃除機などが普及していない時代だったので、お掃除は本当に大変だったようです。しかも家の中は常にほこりっぽい。
大抵の中流家庭では女中を雇わないといけない程、時間のかかるものでした。


食べ物

アンブックスには食べ物が沢山でてきます。もうよだれもんです。

よく作中に『お茶に呼ぶ、呼ばれる』という言葉が出てきますが、あれは午後遅くかそれ以降の軽い食事のことをさしているそうです。お茶の週間は、やはり英国からの移民によって受け継がれたもののようです。

家でケーキやお菓子をやいている描写も多くありますね。
なんといっても有名なのは痛み止め入りレイヤーケーキでしょう。あと、マリラは果物入りのお菓子をよく焼いていたみたいです。ダイアナを招待したあのティーパーティの時もフルーツケーキやしょうがいりビスケットが家にあったりしてますね。家で果物などの砂糖漬けも作っていました。ダイアナのよっぱらったさくらんぼ酒(ほんとはさくらんぼではない)もマリラの自家製でした。

ふだんの食事は多分質素なものだったとおもうのですが(アンとマリラは夕食にチーズトーストを食べている)、やはりお客がくる時はごちそうを作ったようです。作中で圧倒されるのはアラン牧師夫妻を招いた時の御馳走。

メニューはひな鳥のゼスリイとコールドタン、赤と黄色のゼリー、泡立てクリームにレモンとさくらんぼのパイ、クッキー三種、フルーツケーキ、あんずの砂糖漬け、パウンドケーキ、レイヤーケーキ、ビスケットに新しいパンと古いパン。なんか炭水化物ばっかだね。野菜が全然ないんだけど。

モーガン夫人を招いた時はローストチキン二つ、えんどうとそら豆、じゃがいものクリーム煮、レタスサラダ、レモンパイ、コーヒー、チーズ、そして指型クッキー。

炉辺荘での婦人会の集まりには、ホット・チキン・パイ、マッシュポテト、グリーンピースのクリームあえを出しています。スーザンは料理の名人で、彼女のチェリーパイはギルバートも大好きだったそうです。


服装

アンがもらわれて来た頃にマリラが初めてつくってくれた3枚のドレスは悲惨なものだったようです。

本によると体にぴったりした同じスタイルの服で、ひとつが焦げ茶ギンガム、二つめが黒白にごばん綿じゅす、三枚目が嫌な青のさらさだったそうです。

でもマシューがかつてない洞察力をふりしぼって思い付いてリンド夫人に頼んでつくってくれたドレスはつやつやした茶色の絹地のブラウスとスカートで、ブラウスにはピンタックしてあって首にうすいレースがついていて袖がリボンでしきられて二つにふくらんでいて、スカートはひだやふちどめがついていたそうです。

その後も新しいコートやら紺のドレスやら帽子やらつくってもらっています。この時代は既製品というものが少なく、布地を買ってきて家庭でつくるのが当たり前だったみたいですが、アンの青いラシャのコートをつくった本職の仕立て屋さんというのもいたようですね。

ヴィクトリア時代の服装というのは首の付け根から足下までカバーされているスタイルで、これは日焼け防止やその当時の堅いモラルのためでした。美白は当時重要視されていて、外出時はかならず大きな帽子をかぶります。風柳荘の未亡人が脱脂乳で顔を洗ったり、アンがレモンを顔に塗ったりしてますよね。


 この時代は今と違って、流行はあまり変わりませんでした。

少女のアンが「ふくらんだ袖」に憧れていますが、これが大流行したのが1825年から1840年の間。アンが生まれたのが1866年頃だそうなのでプリンスエドワード島は流行に乗り遅れていたのでしょうか??

ヴィクトリア時代の服装といえば定番のドレスのお尻の部分がふくらんでいる服(Bustle)は1873年から1895年までブームでした。
アンが青春時代を過ごしたと思われるのは1880年代後半にはそんなドレスを着用していたのでしょう。ちなみにふくらんだ袖は1895年くらいにまたカムバックしてきます。
1890年代はブラウス、スカートにジャケットといったスタイルが主流だったようです。人妻のアンもミス・コーネリアの家にお茶にいくのにふくらんだ袖のジャケットを着ていたかもしれません。

ちなみにアンの娘リラがケネス・フォードと再会して結婚する1920年代までには女性の服装はガラリとかわっています。首までキッチリある服とうってかわり胸のあいた、スカートの裾も短いドレスが大流行しました。


さて、服を作るのは、家庭か仕立て屋さんで、手縫いかミシンという時代だったし、ヴィクトリア時代のドレスは布が多くいるので、一着つくるのにお金がかかるのです。

田舎では、女性は教会や特別な催しに着ていく『晴れ着』が1〜2着、訪問着や家へお客様を招待する時に着る、2番目の晴れ着が1〜2着、そして毎日着用する普段着が2〜3着という所でした。
普段着の上からエプロン(割烹着に袖がないみたいなの)を着て、衣服を長もちさせていました。この時代の女性はコルセットをつけていて、アンも16歳で学校の先生になってから着用を始めたと思われます。


衣服の洗濯は重労働でした。グリーンゲイブルスは水道水がないので、外の井戸から水を汲んできて、料理用ストーブで沸かし、洗濯板で手洗いして、鍋で30分ぐつぐつ煮て、桶にいれて長い棒でかき回す、という感じだったでしょう。

晴れ着のドレスは、おそらく洗うことはなく、薄めたシンナーや新しい白パンで拭いたりしていたようです。洗濯は一日仕事ですが、アイロンがけも大変で、アイロンみたいな形の鉄の固まりみたいなものをストーブで熱くしておいたものを使っていました。



髪型

この時代の女性は髪を切らずにのばしていました。

おでこの生え際は少しきってカールにする人もいたようですが。長い髪を頭にぐるぐるまいたり、シニオン(懐かしい言葉だ)にしたり、ポンパドゥールに結ってみたりしていたようです。

アンは髪を結うのが得意で、いろんな人の髪をふくらませたり、ひっつめたりしていました。そしてその人に合う髪型をよく知っていたみたいです。

イタリアあたりでは中世以降くらいからレモン汁を使った髪の毛の脱色がさかんに行われていたようです。アンも教会で退屈しているときにいろんな人の「メークオーバー」を想像している時に、ある婦人に対して「レモンの洗髪」をしたら髪の色がきれいになるんじゃないかと考えているシーンがありますよね。この時代にも脱色は盛んだったんでしょうか?

ちなみにお風呂にはいる週間があまりなかったので、当然、シャンプーもあまりしていなかったみたいです。



アンの小物や料理に挑戦してみたい人は鎌倉書房より『赤毛のアンの手作り絵本』シリーズ全3巻がでています。イラストもかわいくて実際につくらなくても超おすすめです。アメリカではPenguin Booksより、The Anne of Green Gables Treasury (Carolyn Strom Collins & Christina Wyss Eriksson 著 ) が出ています。

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